(8)

 彼女の黒目がちな瞳は、潤んでいるように見えた。顔はその艶ややかな色を失い、オレンジに照らす店のライトの下でも、そうと解るほどに青ざめていた。
 野島は彼女を怯えさせないように注意しながら、小さく口を開いた。
「僕は今日、記者として来たのではありません」
 佐穂の肩がびくりと震える。次いで開かれた瞳は、思いがけない事実を聞いたと言わんばかりに開かれて行く。
「貴女の口から、真実が聞きたかっただけです。そして……出来ることならば、佐穂さんの支えになりたい。そう思いました。これは、本当です」
 一言一言噛み締めるように言えば、佐穂の瞳に盛り上がる涙が見える。それを落ちる前にそっと拭った佐穂は、じっと野島の瞳を見つめた。
 ――この人は、迷っている。
 そう感じた野島は、己の瞳に精一杯の誠意を込めた。そこで佐穂がそれを信じられないというのであれば、もう追う事はすまい。追い詰めて、何もかも暴こうという訳では無い。それは自分の仕事では無いし、そのような記事は書きたくも無い。
「信じて……良いんですか?」
 やがて小さく息を吐き出した佐穂が、唇を震わせながら聞く。
 野島はこくりと頷き、そっと椅子に座るように促した。何事が起きたのかと見守っていた女将が、安心したように肩の力を抜くのが横目に映る。そのまま熱めのおしぼりを頼むと、心得たように背を翻した。
 前に置かれたおしぼりを手に取って彼女に渡せば、椅子に腰掛け直した彼女は案外素直に受け取った。そのまま目尻に持っていくようにして、佐穂はすん、と小さく鼻を鳴らす。
「最初から……ご存知だったんですか? 私の事」
「いいえ。全く。この話が出たのも、偶然でした」
「どなたかが、ご存知だった?」
「……ええ。雑誌に詳しい女性記者がいましてね」
 これ、と鞄の中から理子が渡してくれた本を垣間見せれば、佐穂の眉が不快そうに寄せられる。きっとあまり思い出したくないだろうと、野島もそれ以上は見せる事をしなかった。
「あんな雑誌に、出なければ良かったんです」
「まさか、昔の事を覚えている人がいるとは思わなかった?」
 水を向けてやれば、こくんと頷く。もう佐穂は、隠し立てはしないだろう。野島はなるべく記者の口調にならないように注意しながら、彼女の話を聞くことに決めた。
「会社は、どうしたんですか?」
「駄目になりました。代表である私が詐欺師のレッテルを貼られては、会社は成り立ちません」
 確かにそうだろうと、野島も納得する。それが真実では無いにせよ、ネット社会でビジネスを進めようとする会社が、そのネットで悪評を立てられてしまった。もう取り返しの付かない事態であったろう事は、想像に難くない。
 『インターネットビジネスのこれからを担う”美人取締役”』。そんなタイトルで紹介された記事に映るのは、今よりも派手やかな化粧を施した佐穂の姿だった。
  主に二十代から三十代の女性をターゲットにしたその雑誌で、佐穂は「夢を叶えた女性起業家のひとり」として紹介され、新たなネットビジネスに着手した若手 起業家としてインタビューに答えていた。幼い頃から数字には強かった事。大学時代には、既に起業に向けて動き出していたことなどが語られたその記事は、若 い女性の圧倒的な支持を受けたであろう。
 しかし、そんな佐穂の名前と顔を見て、一部のネットユーザーが騒ぎ始めた。巨大掲示板にもその手の話題がいくつも並び、佐穂は一部に置いて「時の人」となったのだった。
 曰く、『美人社長は、嘘つき天才少女だった』と。
 


 

 

[09年 08月 23日]

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