(6)

 夕食を一緒にと申し出た野島に、佐穂は少々躊躇った後、頷いてくれた。
 例の特集が組まれた『週間マイタウン』を手に塾を訪ねた時、野島の自惚れで無ければ、佐穂は少し嬉しそうな顔をしてくれた気がする。
 そんな佐穂に、これから自分は酷いことをしようとしているのかもしれない。
 もちろん傷つけるつもりも無いし、記者としての興味から彼女を誘った訳でも無いが、結果的に彼女に嫌われる可能性とて充分考えておかねばならない。
 ただ、最初に塾を取材したいと申し出た時の頑ななまでの拒絶に、彼女の心に残る「傷」を見たような気がしたのだ。だからもし自分が、少しでも彼女の力になれれば……。野島は真実、彼女を支えてやりたいと思っていた。
 日の長い初夏の夕刻は、未だ明るい日差しを駅の改札に投げかけていた。
 彼女の家の場所は、もちろんまだ聞いていない。あまり積極的に出ては不快に思われるだろうと、取りあえず駅での待ち合わせを提案したのだった。
 約束の時間は、六時三十分。佐穂の感じからするに、もう来ているだろう。
 車でゆっくり駅の近くを回れば、人でごった返す改札から少し離れた場所に、所在無げに佇む彼女の姿が見えた。淡い色のスカートに深い色のキャミソールを合わせ、その上にカーディガンを羽織っている。
 近くの駐車場を見つけると、愛車を入れる。今日は特に酒を飲むつもりは無いし、彼女が嫌で無ければ、一応家まで送るつもりでいる。
「佐穂さん」
 近くまで寄って声を掛ければ、佐穂がホッとしたように顔を上げた。その様子を、改札を駆け抜ける男子高校生がちらりと見ていった。
「野島さん」
「さすが。早いですね」
「性格なんです。時間が気になって。でも、野島さんも早いじゃないですか」
「……お互い、五分前行動ですか」
 野島が笑えば、佐穂もふふ、と声を漏らす。やはり先日あった時とは違い、”先生”の顔では無い佐穂は、幾分柔らかく見える。
「ええと、とりあえず、食事で良いですか?」
「はい」
「実は、物凄く酒豪だとか」
「ありません」
「なら、行きましょう。美味しい食事を出してくれる、小料理屋さんを知っているんです」
 仕事柄、地域の飲食店はあらかた把握している。
 打ち合わせに使うこともあるし、時には取材に使ったりもする。相手に合わせて店を使い分けるのも、編集者としての力量が問われるものだと、野島は勝手に思い込んでいる。
 しかし今日佐穂と行く店は、自分の”隠れ家”的な名店で、実は仕事関係の誰をも連れて行った事はないのだった。
 駅から徒歩で数分。細い路地の真ん中辺りに、その小さな店はある。表の暖簾もささやかに出されている程度で、初めてではなかなか入ろうとはしないかもしれない。カラリ、と開ければ、中かから馴染みの女将の声がした。
「あら、野島さん。いらっしゃい」
「こんばんわ。女将」
 挨拶を返すと、五十がらみの気さくな女将は、野島の後ろにいる佐穂に気付いたようだった。
「いらっしゃい」
「こんばんは」
 佐穂は興味深げに店内を眺めながら、頭を下げる。気の利いた花と焼き物が飾られた店内は、佐穂のお気に召したのだろう。カウンターに飾られた花を見て、小さく歓声を上げた。
「どうしますか。カウンターにします? 畳もありますよ」
「どちらでも結構です」
「……じゃあ、カウンターにしましょうか。スカートですものね」
 暫く考えてから言うと、佐穂は驚いたように野島を見上げた。こうすると、佐穂は野島よりもだいぶ背が低い。踵のあるサンダルを履いてそうなのだから、実際は十センチ以上違うのかもしれない。

 


 

 

[09年 08月 21日]

inserted by FC2 system