店の中には、あちこちに小さなキルトが飾られていた。ハワイアンでは無い穏やかな手縫いのそれは、店主の手作りなのだと、幸枝が教えてくれる。 「多趣味の方でね。ケーキも手作り。内装も手製のキルト。なんでも自分で作らないと気が済まないんだそうよ」 小さな木製の椅子に掛けようとした理子は、そこにも可愛らしいデザインの座布団が置かれているのを見て、思わず笑みをこぼす。これはぜひとも記事にしたい所だが、なにしろ看板すら出ていないような店だ。店主は嫌がるかもしれない。 「いらっしゃいませ」 奥から出てきた店主は、幸枝と歳の変わらない女性だった。 チェックのカフェエプロンをした彼女は、幸枝の姿をみて、嬉しそうに笑みをこぼした。 「今日は、残っておりますよ」 「ホント? 嬉しい」 主語の抜けた会話に理子が不思議そうに見つめていると、幸枝はとんでもなく嬉しい秘密を打ち明けるように、頬を染めた。 「ここのレアチーズケーキは絶品なの。でも人気過ぎて、この時間だと残っていないことがほとんどなのよ」 「へえ。そうなんですか。運が良かったんですね」 最近、”運が良い”などと感じた事があるだろうか。 そんなささやかな幸福に気付かぬほど、生活が荒廃していたのかと気付く。おかしな程、今日はあらゆる幸せに対して敏感だと思った。 「お飲み物は?」 「私はカフェオレ。理子さんは?」 「じゃあ、コーヒーを」 畏まりました、と去っていく店主の後姿を眺めながら、改めて店内を見回す。 「本当に、素敵なお店ですね」 「気に入っていただけた?」 「はい。ウチで紹介したい程です」 僅かに探りを入れる口調で言えば、幸枝が困ったように首を傾けた。 「”隠れ家”という位だから……どうかしら」 「そうですね。あまり取材等を好まれないかもしれませんね」 残念だが、諦めるしかないだろう。恐らくここの常連客も皆、この店が余り有名になることを望みはすまい。きっと幸枝もそのひとりなのだろうと見当を付けて、理子は話題を変えた。 「お花、楽しかったです」 「イメージは出来た?」 「まだ、そこまでは。今になって、なんて大それた事を始めてしまったのかと、ちょっと焦ってます」 正直な気持ちを隠さず言えば、幸枝がまた「大丈夫よ」と笑った。 「お友達は、どんな方なの?」 「そうですね。なんというか、掴みどころが無いというか、ふわっとした感じなんです。どちらかと言えば、大輪のバラよりも、小さなピンクの花が似合うタイプだと思います」 菜摘の顔を思い出す。 大学のゼミで知り合った彼女は、どこか守ってやりたい雰囲気を漂わせ、常に男性の視線を集めるタイプの女性だった。 しかし意外に芯が強く、結局大学を出るまでどんな男性にも決める事はなかった。それが社会人十年目にして同い年の営業マンと付き合い出し、スピード結婚するのだ。 男っぽいように見えて、社会人一年目にしてタケシと出会い、それからずるずると付き合いを続ける理子とは対象的だ。 「そこまで解っているなら充分よ。きっと素敵なブーケが出来るわ」 「ありがとうございます。頑張ります」 来週には菜摘と会って、実際にウェディングドレスの写真を見せてもらうつもりだ。それによって、大分イメージが固まるだろう。講師の浅倉にも写真を見せて、助言を貰うのが良いかもしれない。 「どうぞ。これは、サービスです」 ケーキとコーヒーを持ってきた店主が、品の良い小皿にクッキーを載せてきた。二色の四角いクッキーは、実に美味しそうな香りを立てていた。 「あら、スイさん。今度はクッキー?」 「はい。まだ試作段階なんですが。今度、教室にも持って行きます」 「私達、パソコンスクールのお友達なのよ」 幸枝が打ち明けるように、理子に説明する。 「ああ、そうなんですか」 納得した理子が頷くと、幸枝は更に、ほくろのある目元を細くした。 「スイさんはね、ご主人が海外に長期単身赴任中なの」 「それで、パソコンを?」 「たっくさんメールを送ろうと思いまして。浮気防止です」 ”スイ”と呼ばれた女性は、照れたようにエプロンをいじった。落ち着いたように見える女性のそんな可愛らしさに、理子は一遍でこの店が好きになった。
[12年 06月 10日]