「この花は”スノーボール"と言って、普段は余りブーケには使われないんです」 理子の視線に気付いたように、浅倉が告げた。女性らしい曲線を描く髪型に細いフレームの眼鏡を掛けた彼女は、どこか全て計算ずくであるかのような雰囲気を感じさせる。 「そうなんですか」 「ええ。でも、新郎さんとの出会いの場所がスキー場という事で、どうしてもこの花をブーケに入れたいのだと仰っていましたわ」 「まあ。面白い」 またもや隣で、幸枝が子供のように目を輝かせる。こんなに「発見」の出来る彼女は、さぞかし毎日忙しいことだろう。 「副島さんも、お花に触れてみてはいかがですか? どんな形や、色にするのか。まずはそこから始めましょう」 「はい。お願いします」 浅倉が手招きするのに着いて行けば、何種類かの花が用意されていた。菜摘のどこかほんわかとした外見を思い出しながら、理子は久方ぶりに感じる植物の生命を、愛しいと感じた。 午後から始まった教室は、時計が打つ三時の鐘と共に、終わりになった。 初日ではあったが、花に触れることを存分に楽しみ、今後の教室が待ち遠しくなるだろうと感じた。しかし浅倉が言う所によれば、生花のブーケというのは案外難しいものらしい。もちろんセンスもあろうが、何より技術の面でも、なかなかの力量を要すもののようだった。 「理子さん、お茶でもしていかない?」 教室の階段を下りながら、幸枝が微笑んだ。全く用事が入っていないという身でもないが、差しあたって急を要するものでもない。このまま家に帰って、タケシの帰りを待ちながら原稿を書くのも味気ない。 理子は、先ほど指先から染み込んで来たように思われる、植物の生命力を意識していた。 最近には無かったことだ。 仕事は充実していたけれど、正直に言えば、ここ何年も私生活では死んでいたも同じような理子だったのだ。 それが、久方ぶりに気力が漲り、充実している自分を感じる。ベルベッドの手触りを思わせるバラの花弁も、壊れ物を扱うかの如く気を張り詰めたかすみ草の茎も、そこには確かに命があった。そう感じられる自分は、まだ死んでいないのだと認識できた事が、一番の収穫である気がする。 「はい。喜んで」 「良かった。この先にね、美味しい喫茶店があるのよ。手作りケーキが最高なの」 楽しみにしててね。と可愛らしく笑って、幸枝は横断歩道を渡り始めた。ふわふわと弾むように歩く幸枝は、年齢よりもだいぶ若々しく見える。 それは、日頃から植物に接しているせいなのかもしれないと推測し、そのふわりと広がる花柄のスカートにも妙に納得した。 幸枝お勧めの喫茶店は、木製の扉にベルの掛かる、小さな空間だった。しかし何故か、看板が出ていない。目を瞬かせた理子に気付いたのだろう。幸枝がふふ、と笑って見せた。 「ここはね、”コーヴォ”」 「はい?」 「”隠れ家”って名前の店なの。だから看板も出ていないのよ」 「ああ。そうなんですか」 いかにタウン誌の記者とは言え、まだまだ知らない店があるものだ。 些かの自戒を込めて、理子は呟いた。
[12年 05月 30日]