連作短編2

 

(5)

 大谷の妻から紹介された教室は、駅前に存在するビルの中にあった。
 他にもいくつかのカルチャースクールが入るそのビルは、意外にもごてごてした看板を背負うことの無い、すっきりとした外観だった。
 やれ英会話スクールだの、消費者金融だのの派手な窓張りの宣伝を予想していた理子にしてみれば、いささか拍子抜けした勘は拭えない。それでもそのビルのオーナーが有名なフラワーコーディネーターであり、自社ビルにも拘りを持った結果だと知って、テレビでも見かけるその人物に好感を持ったのは言うまでもない。
「副島理子さん、ですね?」
「はい」
 土曜日の午後を受け持つ講師は、比較的若い女性だった。恐らく理子といくつも変わるまい。
 なんでも大谷の話では、比較的時間に余裕のある平日に教室を持つ講師のほうが、オーナーに近い階級の人間であるらしい。それは恐らく、その時間帯に生け花教室に通えるというのが、羨ましい身分のご婦人方であるのと関係しているのだろう。
「夫と同じ会社で、働いている方なんですの」
 驚いた事に、初めての今日という日に合わせて、大谷の妻である幸枝も己の受講予定を変えてくれていた。
 通常は水曜日の午後に教室があるという幸枝だが、理子の話を聞いてすぐに、暫くの予定だけは変更したという事だった。なんだか申し訳ないような気もしたが、理子に紹介した手前、いい加減にするのは幸枝の性分では無いのだと大谷は評していた。
「そうでしたか。大谷さんのご紹介で。それは、ありがとうございます。土曜日の教室を担当します、浅倉です」
 この様子からすると、幸枝はこのスクールの中でも上客なのだろう。生け花の他に、このビルに入る英会話やパソコン教室にも通っているとの事だから、当然なのかもしれないが。
「暫くの間ですが、宜しくお願い致します」
「あらら、そんな事を言わずに。気に入ったらその後も通ってくださいね」
 全身を白のスーツに固めたその講師は、愛想の良い笑みを浮かべた後、綺麗にウェーブのかかった栗色の髪を揺らし、熱心に花を見つめる生徒達の元へ戻っていった。
 理子が”ウェディングブーケ”作りが目的で入校してきたというのは、講師にもしっかりと伝わっているらしい。もちろん理子もそのほうが都合が良いし、菜摘へのプレゼントを制作した後にも通い続けるつもりは、実際の所あまり無かった。
「理子さん、で良いかしら?」
「はい。すみません。何もかもお世話になってしまって」
「あら。良いのよ、そんな事。こちらこそ来て頂けて嬉しいわ」
 四十台の後半であろう幸枝は、長めの黒髪を綺麗に結い上げていた。中肉中背で、色白。目尻に色っぽいほくろが見える以外は、至って普通の中年女性に見えた。どちらかと言えば、控えめに感じられるその雰囲気は、まさしく大谷の妻らしい、謙虚さを持ち合わせていた。
「私、お花なんてやった事なくて」
「自分の思うまま、感じるまま。講師の先生が一応のアドバイスはくれるけれど、最終的には理子さんの好みよ」
 途方に暮れたように打ち明けた理子に、幸枝は優しげに微笑んで見せた。
 笑うと、目元のほくろが一層目立つ。この人は、笑顔のほうが美しい。理子は一瞬、記者の目で彼女をそう判断した。
 隣り合わせた席に座るふたりの元に、講師の浅倉が、何枚かの写真を持ってきた。
「これ、どうぞ。今までこの教室の方が作った、いくつかのブーケです」
「あら、綺麗」
 幸枝が嬉しそうに声を上げる。その童女のような響きを聞きながら、理子も頷いて見せた。
「随分、色々な種類があるんですね」
「ええ。私達の教室では、作られる方のご希望を最大限聞くよう、努力しています」
 もちろん”ブーケ”であるから、ある程度の制約はあるのだろう。しかし確かに、通常であればブーケに使わないであろう種類の花も見える。


 

        

 

 

[12年 05月 26日]

inserted by FC2 system