連作短編2

 

(1)

 約束を忘れられるのは、たびたびで。
 時間に遅れてくるなんて、当たり前。
 飲んでるから迎えに来いと電話が来て、それでも店先で待たされる。そんなの何とも思わなくて、泥酔状態で車に乗ったら即、夢の中。
 アンタと付き合って友達失くしたよ、なんて言ってみたけれど「お前は俺がいればいいじゃん」と返されて妙に納得した。でも自分の友達は特別なまま、結局今日もいつもの店へ飲みに行っている。

 
 女が出来て、何度か出て行った。
 「タケシを出してよ」なんて、凄い剣幕で怒鳴り込まれたこともある。
 バレないように浮気をするなんて、思いもつかないのだろう。いつでも本能のまま。気に入った女が出来ればフラリと出て行き、捨てられれば何事も無かったように帰ってくる。
 部屋の扉が開かないなんて、チラリとも思っていない。いつでも鍵はすんなりと開き、暖かい寝床と食べ物が用意されていると信じている傲慢な男。そしてそれを拒めない馬鹿な女。
 解らない。
 何故、離れられないのか。
 確かに見目は良いけれど、ただそれだけ。中身は空っぽの貯金箱のようだ。……貯金箱は、お金を貯める目的があるだけ、良いのかもしれない。だってタケシは、使うだけ、なのだから。

「あーあ。ついに定期を一本解約しなきゃかなあ」
 
社会に出てすぐに、いくつか積立を始めた。五年満期と一年満期。五年満期は、いつか来るだろう「結婚」というイベントのため。そしてもうひとつは、毎日働く自分へのご褒美のつもりだった。結局貯まった分全ては使わずに定期にして来たのだけれど、それも、タケシのせいで無くなりつつある。

「理子先輩。お先に失礼します」
 ”鳥の囀り”なんて良く言ったと思うが、まさしくそんな声を持った後輩が編集室を出て行く。新卒で入った彼女は、まだ二十歳そこそこだ。くるくると良く働き、愛らしい笑顔で皆に可愛がられている。
 その上名前が「愛流(あいる)」ちゃんというのだから、神様の愛は均等に配られてなんかいないんじゃ無いかと思ってしまう。
「ああ、お疲れさま。ゆっくり休んでね」
「ありがとうございます。理子先輩も」
 素直な返事を残して、彼女は出て行った。それを微笑みの形で見送っていた理子だったが、しかしその後ろを忍び足で帰ろうとする男が、気に入らない。
「なあに、野島ちゃん。もう帰るの?」
 わざと大きな声を出してやれば、相手が肩を跳ね上がらせて、デスクのほうを振り返った。デスクに残って仕事をしていた編集長の大谷が、今気付いたとばかりにその大きな目で野島を睨んでいる。
「理子先輩!」
「何よ」
「もう、勘弁して下さいよ〜。間に合わなくなっちゃいます」
 それが、どうした。
 声を潜めて懇願する相手に言ってやろうと思ったが、あまりの悔しさに耳を引っ張ってやった。野島はさも痛そうに耳を押さえると、恨めしげに理子を見つめる。
「ほんと、凶暴なんですから」
「なんか言った?」
「いーえ。理子先輩は今日も素敵です」
「宜しい」
 
この後輩は、どうやら先日親しい女性らしきものが出来たらしい。その前までやけに思いつめたような顔をしていたのが気になっていたのだが、どうやら事は丸く収まったのだろう。なんにしても良かったとは思うが、その礼こそあれ詳しい報告が無かった事に、少なからず理子は腹を立てていた。
「今日は、どこでデート?」
「……そこまで報告しなきゃいけませんか」
 ひそひそ声の会話に、大谷が眉を寄せる。あと数分もすれば『野島』と声が掛かるのは目に見えている。その前に編集室を出たいのだろう。野島の肩がそわそわしている。
「じゃあ、明日の昼は、アンタの奢り」
「どうしてそう……っ」
「これ、明日の朝一までの仕事だと思うけど?」
 目の前にヒラヒラさせると、野島が引きつる。それにニヤリと笑って、理子は勝利宣言のように言った。
「”ドナウ亭”のカツ丼」
「……了解しました」
 返事と共に、野島が駆け出していく。机に座った大谷が口を開きかけたが、その勢いにあっけに取られたように、固まった。
        

 

 

[12年 04月 28日]

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