(5)

「先輩!」
「はいっ」
 怒涛のように押し寄せてくる思考と闘いながら、ユイは西原を睨みつける。
 馬鹿、と言えばいいのか、鈍感、と罵ればいいのか。
 どうして自分の告白シーンはこんなにあっさりしたものなのだろう。先程観た映画のラストシーンのように、ドラマティックなエンディングを迎えるというのが、ユイの長年に渡る夢だったのに。
「……私のこと、好きなんですか?」
 それでもユイの口から出たのは、やはりそんな面白味の無い一言だった。
 言った自分にがっかりし、思わず西原を恨みそうになる。道の真ん中で立ち止まる二人を、通行人が迷惑そうに避けていく。自転車がぶつかりそうになって、「チリン」と不機嫌なベルが鳴った。その音に被るように、西原が返事をする。
「うん」
 眼鏡のブリッジを押し上げ、背を丸め気味に頷いた西原は、はっきり言って格好良くは無かった。長年夢見ていたような、理想の「彼氏」像には全く合致しなかった。
 西原の背後は、美しい水平線とは程遠い、靴屋のサンダルが並べられた棚。どこかの政党が、広報車に乗った政治家の名前を連呼しているのすら、聞こえる。
 しかし、ユイの出した答えは
「いいですよ」
 だった。
 西原がハッとしたように顔を上げる。
 でも、と続けたユイの瞳を探るように見つめてきた西原に向かって、ユイは残酷とも聞こえるような女の無邪気さで、こう続けたのだった。
「でも私、そんなに先輩の事好きになれるかどうか、解りませんけど」


 次の日から、ユイの生活は劇的に変わった……筈だった。
 講義の合間に、待ち合わせてするランチ。これは、経験した。
 ゼミ室で西原と鉢合わせた時にする、微妙な目配せ。周りの冷やかすような目。これも、ちょっとした羞恥と共に、経験した。
 「今日、彼氏が来るから」と言って友達の誘いを断る事も、初めてだった。
 もちろん、一緒にユイの家まで歩いたこともある。しかし繋ごうと伸ばした手は、さりげなく外された。自分のほうが積極的な感じで、なんだか悔しい。
 その上、なんともつまらない事に、ふたりの付き合いは、二週間経っても、一ヶ月経ってもそのままなのだった。
 なんの進展も、盛り上がりも無かった。
 普通、付き合い始めの頃というのは、もっと盛り上がっても良いのでは無いだろうか?
 毎日会って、それでも足りなくて、夜中についつい電話をしてしまう。
 家に送ってもらって、帰したくなくて、離れたくなくて、ついつい玄関で長話。そしてちょっと照れた振りで部屋の中に誘って……その先だって、何かがあっても不思議じゃ無い。
 でも、西原との付き合いは、一向に、本当に何一つ進まないのだった。
 「草食男子」……ユイの頭の中に浮かぶ単語。ガツガツせず、何も望まず、男らしいリードは期待するだけ無駄。でもそれは、ユイの思い描いていた恋じゃ無い。
 正直、もっとベタベタして、揉め事のひとつやふたつ経験するような恋愛が、ユイの憧れていたものだった。相手を束縛し合って、たまには嫉妬で苦しくなって、それでも互いしかいないのだと確かめ合ってまた愛し合う。そんな物語の中に出てくるような、劇的な「恋」がしたいと思っていた。
 幾度かさりげないアプローチをしてみたが、それ以上先に進む事に、どうしてか西原は臆しているかのようだった。「弱虫」と面と向かって言ってやりたい所だが、それはさすがに口に出来ない。
 あまり積極的でない西原からどうこう、というのを期待してはいけないのだろう。もしかすると、ユイを大事に思う余り、なかなか動けずにいるのかもしれないし。
 もちろん、全くそういう方面に興味が無いとも考えられるが、そういう場合はどうしたら良いのだろうか。栞はもちろん経験済み≠セが、あの件以来気まずくなって、それらしい話もせずに来てしまった。
 おっとりとした奈々子には相談しにくいし、こんな時に誰よりも頼りになる亜佐美は、最近忙しいらしく捕まらない。

そんな西原が、珍しく夕方遊びに来ると言っていた金曜日。ユイは一応、入浴を済ませておいた。
 何と言っても、明日は休みな訳だし。
 週末は講義の終った時間から本屋のバイトに通う西原だったが、ここの所平日まで勤務が入っていて、さすがに休みを取るよう言われたらしい。明日の土曜日も休みなので、今日はゆっくり出来ると言っていた。さすがに今度こそは……と思わないでもない。
「ユイちゃん。この間のシリーズ、DVDで借りて来たよ」
 そう言って西原が訪れたのは、夕方の五時を回る頃だった。
 料理の苦手なユイの為に、西原がパスタを作ってくれる事になっていて、彼は両手一杯にスーパーの袋を提げていた。さすがに「マイバック」では無いらしいが、ロゴがでかでかと印刷されたスーパーの袋は、妙に西原に似合っていた。
 


 

 

[09年 09月 29日]

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