(6)

 きのことベーコンに麺を加え、相当な重さになったフライパンを、西原は簡単に左手で操っていく。細身に見えても、さすがは男である。ユイは、半袖から覗く西原の細い二の腕に、そうとは知らず釘付けになっていた。
 ふたりで着いた食卓には、パスタとスープ。それにサラダが添えられていた。
「ちゃんと食べてる? ユイちゃん」
「はい?」
「最近、細くなったでしょ。気になってさ」
 ユイは無言で目を見開いた。
 西原が、ユイのささやかな変化に気付いてくれていたとは、意外だった。
「食べてますけど、夏はやっぱり食欲が落ちますよ」
 それでも、西原の為に綺麗になったのだとは、思われたくなかった。つまらない意地かもしれないが。
「先輩こそ、細っそいですよねえ。もっと食べなきゃ駄目ですよ」
「俺は、なかなか太れないんだよ。むしろそっちが悩みなんだ」
「あー。それは、羨ましいことですね」
 多少の嫌味を承知で言い返せば、またもや西原が困ったように笑う。
 そもそも、西原はユイの何処を好きになったのだろう。気は強いし(自覚有り)、負けず嫌いだし(栞談)、家の中は散らかり放題だし(否定せず)、料理だって裁縫だって得意なほうじゃない。むしろ、苦手だ。
 恐らく男性が女の子に求めるような「家庭的」という条件からすれば、ユイはほとんどクリアしていない筈だ。どちらかと言えば、西原こそが、その条件に合致しているとも言える。そう考えれば、自分達は逆転カップルと言えなくも無い。
それともやっぱり……外見で選んでくれたのだろうかと、甘い期待を持ってしまう。
「そう言えば、ユイちゃんは、卒論テーマ決めたの?」
「いーえ、まだです」
「早く決めろって、教授からせっつかれない?」
「夏休み中には、なんとかしろと言われてます」
 ふたりの所属するゼミの担当教官は、厳しい指導と個性的な髪型で有名だった。その道では相当有名な研究者らしいけれど、その性格が災いして、学会ではあまり受け入れられていないらしい。
 年齢も上がっては来ているけれど、学内の学長選挙云々の話題にも上らないのは、その辺の事情もあるのだろう。
「先輩は、進んでるんですか? 卒論」
「うーん。ちまちまと」
 西原の卒論テーマは、明治時代に生きた、ある文豪だった。
 もはや新説も出ないほどに論じられ尽くした感のある小説家だったので、余計に苦労しているらしい。本当は同郷の時代小説作家をテーマにしたかったようだが、あまりにも時代が新しいため、教授からOKが出なかったらしい。
「物凄く、尊敬しているんだけどなあ」と言いながら落胆する姿を、以前見かけた事がある。
「ちまちま、ですか?」
「うん。地味が持ち味だから、俺」
 自分でそう言い切れてしまう西原に、いっそ清々しいものを感じる。地味も極めれば、個性になるのかもしれないと、ユイは思った。
「ご馳走様でした」
「どう致しまして」
 夕食は大層美味しく、ユイは満足だった。味付けも丁度良いし、麺の茹で具合も最高だった。スープもほど良く塩味が効いて、コンビニで買ってきてくれたというアイスも、やっぱりユイの好みにぴったりだった。そういう意味では、こんなにユイと相性の良い男性もいないのかもしれない。
「先輩。DVD観る前に、お風呂使いますか?」
 さりげなく聞いたつもりだったが、相当に不自然だっただろう。それに気付いているのかいないのか、西原はユイに背を向けたまま、熱心に夕食の皿を洗っていた。片づけまで西原にさせる自分もどうかと思うが、彼が自主的に申し出てくれたので、全部任せるようにお願いした。
「ううん。今日は、いいや」
 どことなく堅い声とその返答に、当然の事ながらあまり良い予感はしなかった。
 片づけを終えたらしい西原が、戻ってきた。その手には飲み物が握られている。互いに二十歳を越えているけれど、ユイがコーラで西原はジンジャーエールだ。西原はいつも、ユイの家に自転車でやって来ていた。免許はあるのだが、車が無い。もっとも駐車場を借りるには、それなりの金額が掛かる。貧乏学生である西原は、そんな金が勿体無いと言っていた。
 ユイの部屋は、テレビが大きい。これだけは両親に無理を言って、揃えて貰ったのだ。昔から、何よりもテレビが好きで、未だに連ドラは欠かさず録画している。
 以前にテレビで観た記憶のあるシリーズの第一作は、何度も主人公がピンチになり、その度にユイは隣に座る西原の腕にしがみついた。西原はその度に体を堅くさせながら、ユイに気付かれぬように身を引く。当然ユイは面白くない。
「先輩……」
「あ、俺そろそろ帰るね。これ以上遅くなると、やばいから」
 クライマックスを迎えた画面にひと息ついて、時計を見上げた西原がおもむろに立ち上がった。

 


 

 

[09年 10月 02日]

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