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  亜佐美の彼氏は二股こそかけてはいるが、決して「美男」の部類に入る男ではない。確かに背は高いけれど、あんなひょろっとして後ろから蹴り倒せば簡単に骨まで折れそうな男、正直言ってどこが良いのだろう。
「んー。今日は、まだだよ。みんな授業じゃないかなあ」
「そっかー。栞、結構空いてるんなら、コレ、行く?」
 そう言ってユイは、マイクを持つ仕草をして見せた。授業の空き時間に行くカラオケは、彼女たちのストレス解消法だ。ユイは、なかなか歌が上手いと自分でも思っている。ヒットチャートは欠かさずチェックするし、受け狙いのアニメソングだってお手の物だ。
「んー。どうしようかなー」
 相変わらず、漫画から顔も上げずに返事する栞。その細い腕が、次々とお菓子に伸びる。栞は驚く程細いくせに、その食欲と来たら、とんでもない。食事の量を調整しても、どんどん体重が増えてしまうユイからすれば、羨ましくて仕方が無い。
 その性格もユイとは反対で、キツイ事を遠慮なく口にする割に、どこかのんびりしている。正反対だからこそ、親友と呼べる付き合いが出来るのかもしれないが、せっかちなユイとしては時にイライラする事もある。
 「どうすんの?」と再度問いかけようとした時、カチャ、とゼミ室のドアが開いた。
「あれ、二人とも、いたんだ。お疲れ」
 頭をかくようにしながら、くたびれた風情の男が入ってくる。二人の一学年上の先輩に当たる、西原だった。学年はひとつ違うだけだが、実際は何年か浪人しているようなので、年齢自体はもっと上ということになる。
  西原は二人の姿を認めると、彼特有の、目じりを下げた「くしゃ」という笑い方をした。それは彼の着ているチェックのシャツと同じように、本当に「くしゃ」という表現しか出来ないものだった。メガネを掛けてさえその目が細いと感じるのだから、めがねを外した顔は、どれだけ薄いのだろうとユイは思う。しかし。
 ユイは密かに知っているのだ。西原が自分に気があるであろう事を。
 今だって、こちらを見ないように微妙に視線を外している。でもどこかその背がそわそわしているし、参考文献を探すその横顔だって、ユイに話しかけられたくてうずうずしているようだ。
 消極的過ぎるんじゃないの? 先輩。待ってたって女の子は寄ってかないわよ<イは心の中でそう毒づく。
  以前から西原とは何人かで食事をしに行く仲だし、ゲーセンにだって遊びに行く。彗星が流れると聞けば、なるべく人の少ない場所を探してみんなで毛布を持って出かけて行ったりもする。広い意味で言えば「一夜を共にした仲」なのだ。……文学部の癖に使い方が間違っているのは、この際置いておくけれど。
 顔が平凡というのは、この際仕様が無い。背があんまり高く無いのも目を瞑る。妥協することが多すぎるけれど、でも一回経験してみたいのも事実なのだ。いやそんなに大それたことでは無い。そう。「告白」というやつを、だ。
 それはどんなに甘美な瞬間だろう、とユイは想像する。男の人に告白される事。簡単なようでいて、二十一年間ご縁が無かったイベント。どんな相手でも良いから、早く経験してみたい。
「先輩、探してる本があるんですか?」
 椅子から立ち上がりわざとらしく下から覗き込めば、本棚の前に立つ西原が不自然な形で顔を背けた。
「うん。明日のゼミで使う予定なんだけど、どこだっけ」
「お手伝いしましょうか?」
「え、ううん。いいよ、大、丈夫だから」
 後ろで漫画を読みながら、栞が笑いを噛み殺している。こういう時の西原の姿は脅える小動物のようで、ユイは自分がウサギを狙う虎になったような気がした。
「あ、ああ、そうだ。ユイちゃん。栞ちゃん」
 突然西原が、思いついたように話を振ってきた。と言っても、視線は依然としてゼミ室の天井のほうを彷徨っているのだけれど。
「明後日の土曜日、ほら、この間言ってた映画を小久保と観に行くって話しになったんだけど、ユイちゃんたちもどう?」
 その映画というのは、封切になったばかりの、冒険ファンタジーの最新作だった。本当に話題通りの傑作なのか、先日ゼミ室で話題になったのだ。「肯定派」がユイと西原の二人で、「否定派」が栞と小久保だった。
「あ、行きたいです!」
 答えたのは栞だった。え? と振り返るユイに意味ありげな笑みを見せると、栞は尚も続けた。
「土曜日、十時に駅で待ち合わせでも良いですか? 映画観た後、ご飯食べましょうよ。お昼、ちょっと遅くなっちゃっても大丈夫ですよね」
 ユイ達の大学はいわゆる「学園都市」と呼ばれる地域にある。要するに大学を中心としたコミュニティのみが広がる田舎で、近くに商業施設はあまり無い。その為、映画を観るには、電車で一駅を乗っていかねばならないのだった。
「うん。そうだね。小久保にも伝えておくよ。っと、あった、これだ」
 目の前で次々と決まっていく事柄に暫く呆然としていたユイを残し、参考文献を見つけたらしい西原は少々猫背な背を丸めてゼミ室を出て行った。パタンとドアの閉まるのを確認すると、ユイは栞をジロリと見下ろす。

 


 

 

[09年 09月 18日]

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