(3)

「ヒメは優しいんだから」
「ほんと。菩薩さまみたい」
 うんうんと頷く栞とユイに合わせて、小久保までが頷いている。奈々子は不思議に思いながら、小首を傾げた。
「だって、小久保先輩のご飯を食べるトコ見てても、楽しくないでしょ?」
 率直な気持ち、だった。
 しかし続いたのは、思い切り噴出した女の子達の声と、唖然としたように口を開けたままの小久保だった。
 コロコロと、年頃特有の笑い声を残して、学食を後にする。じゃれあって笑う四人達を、学食内の数人が眺めていたが、やはり視線は奈々子に集中する。奈々子は依然として、気付かない。
「あーあ。小久保先輩。白くなってたわね」
「ヒメに言われたんじゃ、暫くショックが抜けないよ」
「菩薩っていうか、天使っていうか……悪魔?」
 亜佐美、栞、ユイの談笑は続く。小久保に同情しているように見えて、面白がっているのだ。この辺り、女の子は残酷なものだ。
「ねえ、奈々子。前から思ってたんだけど……」
 亜佐美が声を潜めるように聞いてきた。何を言われるのかとぼんやり見返すと、彼女はちょっと言いにくそうに口ごもる。どうやら必死に言葉を探しているようだ。日頃、思ったことをスパッと口にする彼女にしては珍しい。
「あのさ。もしかして、なんだけど。小久保先輩のこと、嫌い?」
 予期しない問いかけに、奈々子の目が一瞬見開かれる。
 改めてうーんと考えるが、自分の何処を探しても小久保に対する嫌悪は見られない。しかし勿論特別好きという訳では無いので、返答に困ってしまう。
 それをどう取ったのか、彼女らは”やっぱり”というように、頷き合っていた。
「まあね―。奈々子、基本的には『男嫌い』だもんね」
「……そんなこと」
「でもさ、”好きな人”が居たことないんでしょ?」
「それは、そうだけど」
 もーったいない。
 異口同音に嘆く友人達を、きょとんと見返す。
 何故好きな相手がいなければいけないのか。それが自分の人生にどのくらい必要なものなのか、いまいち奈々子には理解出来ない。いなければいないで、別に不便もないし、支障も無い。「彼氏」の必要性を感じたことなど、一度もなかった。
 自分はどこかが欠落しているのではないだろうか。そう思ったことはあるけれど。
「まあヒメくらい美人ならね。ちょっとやそっとの相手じゃ駄目だろうし」
「ユイちゃん……」
「そうじゃなきゃ、周りが認めないよ」
 うんうん、と自分の言葉に頷きながらも、微妙な表情のユイ。異論がない所をみると、他のふたりも同意見なのだろう。
「美人すぎるっていうのも、大変なんだよね」
 同情を込めた栞の言葉に、頷くことも出来ずに曖昧な笑みをこぼした。

 失恋した時には、悲しい歌。
 それが、「近代文学ゼミ」の習わしだった。
 毎年女子生徒が多いこともあって、先輩・後輩問わず恋愛話には事欠かない。相手が誰とも知らぬまま、先輩達の「失恋会」に付き合ったこともある。歌って、飲んで、騒いで。時には男性の悪口にまで発展する場合もあったけれど、どれもこれも可愛らしい女の子の強がりだった。
 恋をしたことも、それに付随するあれこれを経験したこともない奈々子だったが、こうした集まりに顔を出すのは嫌いではなかった。なにより顔に似合わぬほどの酒豪で、他の面々の介抱役が必要だろうと感じていたせいもある。
「だからね、だからね、アタシが馬鹿だったんだけどさ〜」
「うんうん。そうだね。アンタは馬鹿よ」
 先ほどから泣き上戸を存分に発揮してくだを巻いているのは、栞だ。
 酒に強くない上に、彼女は飲み方を知らない。ガンガン飲んで、ある程度まで来たら、突然泣き出す。そうすると後はやっかいで、同じ話を延々繰り返すようになるのだ。
 その隣で相槌を打っているのは、亜佐美だ。彼女は通常酒に呑まれるような程には、飲酒をしない。それは自分が酒に強くないことを充分知っているからで、ある意味大人の飲み方とも言える。しかし今日は、いつもより随分酒量が多いようだ。

 


 

 

[09年 12月 05日]

inserted by FC2 system