(2)

 もともと、先輩の西原については、奈々子も”良い人”として認識していた。
 西原がユイの事を好きだとはまったく気付かなかったが、言われてみれば色々と思い当たるフシはある。自分の事も含め”色恋”にとんと疎い奈々子は、友人達からの情報で、学内やゼミのあれこれを知るのが多かった。
「そういう奈々子はどうだったの、夏休み。実家に帰ったんでしょ?」
「うん。長い休みには、必ず帰る約束だから」
「お祖母ちゃんのため、だっけ?」
「そうだよ。まだまだ元気なんだけど、それでも心配だから」
 ユイは感心したようにふうん、と頷く。
 核家族で育ったというユイは、いまいち祖母の存在がぴんと来ないようだ。しかし奈々子にとって祖母は、一般家庭のような位置ではない。幼い奈々子にとって祖母は「母」のような存在だったのだ。いや、「母」であり「父」だったのかもしれない。

 学食の扉を開ければ、いつもの席に亜佐美と栞が居た。そしてもうひとり……。ゼミの先輩である小久保の姿も見える。
「ユイ! 奈々子!」
 亜佐美の大きな声に、幾人かの生徒が奈々子を見た。
 自覚はないが、学内の有名人である奈々子である。ちらり、ちらりとその姿を盗み見る男子生徒も居れば、明らかに嫉妬の眼差しを向ける女子学生も居る。
 ユイと奈々子はそれぞれ椅子に腰掛けると、待っていてくれた友人達に笑顔を向けた。ちなみに席は、ユイが栞の隣。奈々子が小久保の隣である。気付かぬ内にユイが栞の隣を取っていて、奈々子は小久保の隣を選ばざるを得なかったのだ。
「なんで小久保先輩も一緒なんです?」
 ユイの言葉には、相変わらず遠慮がない。小久保は少し苦笑すると、鼻の頭をかいた。
「え―? たまたまここに来たら、別所さんに引っ張られた感じ」
 サッカー部に属する小久保は、相当の男前であるという。人の美醜に疎い奈々子には解らないが、彼目当てにサッカー部の応援に行く女子も少なくないらしい。
 確かに清潔そうなさらさらの髪と、大きな二重の澄んだ目に好感は持てるが、奈々子にとって殊更興味を惹かれる存在ではない。
「だって折角ユイとヒメも来るんだから、一緒がいいと思って。優しさじゃないですか」
「そうですよ。ひとりでご飯食べるのって、寂しくないです?」
 栞と亜佐美の攻撃に、小久保は肩をすくめて見せるばかりだ。彼は元々あまり自己主張の激しい人間ではないし、どちらかと言えば、大人しいほうの男性だろう。
「じゃ、じゃあ夕飯頼もうよ。なんにする?」
 大学の学食は、割に遅くまでやっていた。時には奈々子達も、早めの夕食をここで摂ってしまうこともある。
 小久保の必死の抵抗にも見えるひと言に、女子生徒四人はきょとんと顔を見合わせた。
 いち早く状況を察した亜佐美が、面白げに指摘する。
「いーえ。私達、ご飯は食べないんです」
「え?」
「私達は、カラオケで済ませる予定ですから。先輩だけ、食べてくださいよ」
「ええっ?」
 続く栞の言葉に、小久保が驚愕した。女子四人に囲まれて、自分ひとりが食事をする。何かと茶々を入れられるのは、火を見るより明らかだ。目を白黒させながら慌てる様子は、さながら猛獣を前にした小動物だ。
「じゃあ、早く行きなよ。俺はひとりで食べるからさ」
 汗までかいて訴えるのを、もちろん見逃す女子ではない。ユイが後を引き受けたように、笑う。割と意地の悪い笑みだ。
「いーえ。どうぞ。先輩が食べ終わるまでここに居ますから、遠慮せずに食べてください」
「……マジで?」
「はい。そりゃもう」
 にんまり、と音がしそうだ。小久保は最後の助け、とばかりに奈々子を見つめた。
 どうしようか……と迷ったが、ここで時間を取られるのも惜しい気がする。
「まあまあみんな。早くカラオケに行こう? 私もお腹がすいちゃった」
 胃の辺りを撫でる仕草で言えば、他の三人は”やっぱり”という顔をした。
「あーあ。良かったですね、小久保先輩。奈々子に助けられましたね」
 亜佐美がバッグを持って立ち上がる。奈々子の提案通り、移動が決まりそうだ。目に見えて、小久保の肩から力が抜ける。
 


 

 

[09年 12月 04日]

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