(2)

 用意されたパイプ椅子に腰掛けると、さりげなく菅の後ろ姿を目で追う。
 背が高くやせぎすの彼は、常に黒の服をまとっている。今も、黒のサテンシャツの袖を捲くりあげ、監督である越野となにやら会話を交わしている。今日の撮影のため、教務課に無理を言って講義棟の屋上をあけてもらったのだと言う。そんなに長い時間、ここで撮影をする訳には行かないだろう。
「結構暑いね。もう、9月だって言うのに」
 横を見れば、樹里が亜佐美の隣に腰掛けていた。
 柔らかな茶色の巻き毛をふわりと風になびかせ、用意してあった日傘を自分と亜佐美に差しかける。陽に焼けないようにという配慮なのだろう。
「ありがとう」
「いいえ。撮影戻る前に、お化粧も直さなきゃかな」
「井出さん、ファンデ使ってないんだって? 凄いね」
 先日メイク担当の後輩がちらりと漏らした言葉を伝えれば、ぽっと頬を赤らめて樹里がうつむく。
「ええ。子供みたいだから、いい加減きちんとお化粧しなさいって友達に言われるんだけど」
 亜佐美の”凄いね”を嫌味と取ったのだろうか。樹里は弁解するように言い募る。これでは自分がいじめているようだと悟った亜佐美は、慌てて付け加えた。
「あ、ううん。そういう意味じゃないの。肌が綺麗で羨ましいと思っただけ」
「え? そんなこと。桐原さんのほうが、ものすごく綺麗じゃない。私なんて、そばかすはあるし、お手入れもちゃんとしてないし。駄目だよね、こんなんじゃ」
 どうして女性というのは、他人を褒める際に自分を貶めずにはいられないのだろう。
 亜佐美は、この習慣を好ましく思っていない。はっきり言えば、嫌いだ。
 自分の肌に自信があるからこそ、樹里はファンデーションを塗らないのだろう。だったらそう言えばいいではないか。きちんと肌の手入れをしているというのは、他人に知られて恥ずかしいものではない。
「ふうん。元が綺麗なのよね、きっと」
 亜佐美はそっけなさを装って、話を打ち切った。このまま樹里と会話を続けていても、苛立ちが増すだけだ。脚本(ほん)を読み直そうと鞄を探った時、手元が曇る。え? と思ったときには、大粒の雨が落ちてくる所だった。
「うわ、おい、雨だ。機材を構内に運び込め!」
「早くしろ、濡らすな!!」
「なんだよ、天気予報の嘘つきめ」
 口々にわめきながら、男子部員達が撮影用の機材や小道具を抱えている。明らかに重そうな物もあり、亜佐美は雨を気にしながら、両手に荷物を抱える男の子達に駆け寄ろうとした。しかし、その腕にかかるしなやかな細い指。
 はっと振り返れば、華奢な日傘で雨をしのぐ樹里が、ゆるく首を振っている。
「私たちが行っても、逆に邪魔だよ」
「そんな事ないと思うけど」
「男の子たちに任せて置けば、大丈夫」
 諭すように続け、じっと亜佐美の顔を見る。それは「仕方のない人」と言わんばかりの視線で、一瞬の内に嫌悪感が募った亜佐美は、少し乱暴に彼女の手を振り払った。
「井出さんは、中に入っててよ。とにかく手伝ってくるから」
 後ろも見ずに、照明を担ぐ後輩の元へ駆けつける。
 コンペ等で良い結果を残しているとは言え、所詮大学の同好会にしか過ぎない。潤沢に部費がある筈もない映画研究会に取って、どんな機材も守らねばならぬものばかりだった。
 何度も構内と屋上を往復し、全てを運び終える。先輩・後輩関係なしに、亜佐美以外の女性部員も撤収に協力していた。しかし、”脚本家”である菅の姿が見えない。どこにいるのか……と探せば、樹里と共に構内に戻ったらしい彼は、動き回る後輩達を、当然のような顔で悠然と眺めていた。どんな時も、自分のスタイルを崩さない男である。
 


 

 

[09年 11月 26日]

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