(3)

「ありがと、桐原。相変わらず、力あるな」
「褒めてるのね?」
「ああ。演劇部の美術が、人を欲しがってたぞ」
「……大道具ってことかしら」
 先程までの剣呑な遣り取りが嘘のような快活さで、越野と会話を交わす。二人ともびしょ濡れだったが、こんな事は珍しくもない。野外での撮影も多い研究会である。何年もやっていれば、機材を動かす際の手順だって慣れたものだ。互いに一年の時から先輩達にこき使われてきたふたりは、同士を見るような目で互いに労をねぎらう。
「ありがとうございます! 井出先輩」
 感極まったような後輩の声に目を遣れば、どこから持ってきたものだろう、樹里が中に入った部員達にタオルを配っている。樹里から「お疲れさま」「大変だったね」などと声を掛けられる男子生徒達は、皆一様に頬を紅潮させて、しきりに頭を下げている。
 ……この際、樹里が片付けに加わらなかったという事実は、部内ではたいした問題ではないのだ。それは「当然」の事であり、こうしてタオルを配ってくれる樹里の姿こそが「気遣いが出来る優しい女性」となる。
「さすがだよなあ。井出先輩」
「細かい所まで、ちゃんと気がつくんだもんな」
 そんな会話が交わされる部内を、亜佐美は溜息と共に眺める。男というのは、単純な生き物だ。幾度もこのような光景を目にして来たが、その度に亜佐美は、馬鹿馬鹿しいという気持ちが隠せない。
 菅は……と首をめぐらすと、ひとりそんな部内の様子とは関係なく、また脚本に目を通していた。
 彼の、そんな所が好きだ。
 菅は決して樹里を褒めたりもしないし、殊更機嫌を取るような振る舞いもしない。”どこにでも居る”女の子のように彼女に接し、時にはすげなくして見せたりする。やはり自分は男を見る目があるのだ。と確信し、亜佐美は雨の降り続く暗い空を見上げた。


『亜佐美。話出来るかなあ?』
 やっと来たか。
 携帯のメールを眺めて、亜佐美はコーヒーをひと口流し込んだ。この銘柄は亜佐美のこだわりで、「近代文学研究ゼミ」にも常備してある。他のゼミ生はあまり豆にうるさい訳でもないので、結局亜佐美の主張が通った形になった。
 メールの相手はつい先日「家出」から戻ってきた栞で、おおよその顛末はユイや奈々子から聞かされて知ってはいたものの、栞が直接亜佐美の元へ報告に来た訳ではなかった。
『大丈夫だよ。明日、学食でどう? 午後から撮影だから、お昼でも一緒に』
 家出の原因は、栞の「浮気」らしい。それが「駆け落ち」にならず戻ってきたのだから、結末は聞かずとも知れるだろう。
 夏休みとは言え、盆の期間中を除けば、学食は営業している。
 集中講義が休み中にばらばらと点在するため、全ての学生が一斉に帰省する時期というのは、ほとんどない。腹を空かせた学生達にとって、安くて味もそこそこの学食は有難い存在とも言えた。
『うん。ありがとう。11時半頃、いつもの席で待ってる』
 これだけのメールを打つために、恐らく栞は散々悩んだのだろう。
 あんな大胆な行動を取った割に、戻ってからの彼女はひどくおとなしいという。
 もし彼女が慰めだけを求めているというのなら、自分には助けを求めて来ないだろうと思っていた。悲劇のヒロインになって優しさに縋りたいというのならば、それはきっと自分の役目ではない。それは、”人の望む通りの答えを返せる”ユイや、”人を責めたりすることを知らない”奈々子の役割だ。
 しかし彼女が真に反省し、誰かに断罪して欲しいと感じたら、いつか自分の元へ来るだろう――。
「ちょっと厳しいカウンセリングになるかもしれないけど、ね」
 にまりと呟く口元には、面白げな笑みが浮かんでいるのだろう。自分でも解る。しかしこうして栞が自分を頼ってくれたことに、正直少し安堵していた。

 


 

 

[09年 11月 26日]

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