3−(1)

 一月も半ばを過ぎ、老舗旅館「ほまれ屋」も一応の落ち着きを取り戻していた。
 「支配人室」と書かれた部屋で、勝呂はひとり今年受け取った年賀状の整理に取り掛かっている。こればかりは、従業員に任せるという訳にも行かない。
 お得意様も含めて、同業者、取引先。
 経営陣に変更はないのか。社名その他に変更は無いのか。家族が増えたお得意様はいないのか等、「総支配人」の肩書きを持つ自分が把握しておかねばならない点は多い。
「パソコンとは、味が無いねえ」
 このような時代だからこそ、労を惜しまない賀状にインパクトがあるのだろうと、勝呂は今年、お得意様始め各取引先も全て手書きで宛名を書いた。もちろん図柄は印刷所に頼んだものだが、添え書きも忘れない。
 全体に景気が冷え込んでいる昨今は、このようにささやかな戦略にも意味があるのだろうと考えている。いかに「お飾り支配人」とは言え、己がこの旅館を盛り立てていかねばならぬことは重々承知なのだ。
「……ん?」
 慎ましくも自分で淹れた濃い目の煎茶を片手に、もう一度ひと通り目を通そうと上からめくっていくと、見覚えの無い筆跡に目が留まった。非常に豪快で、男性的。パソコン全盛の時代には珍しく勝呂と同じ筆書きで、それも筆ペンなどという簡単なものでは無いのが墨の色と文字のハネで見当がついた。
 裏を返せば、何やら木の葉のような絵が描かれた脇に、踊る文字。「今年も、みそひとに命を賭け候」という訳の解らない文言と、携帯のものであろうアドレス。
 携帯のアドレスはさすがに横書きだが、それでも筆書きというそのアンバランスと頑なさに噴出しそうになりながら、差出人を探る。
 見れば「日比谷某」の名がある。しかし、記憶に無い。というより、「某(なにがし)」という名は無いだろう。いつの時代だ。平成だ。
 会社名も肩書きも無い所を見ると、取引先や仕事関係の知り合いではなさそうだ。
 だいたい「みそひとに命を賭け」ってのはなんなのだ。みそ作りの名人なのだろうか。とすれば厨房に来た年賀なのだろうか。いやしかし、みそに命を懸けるのであれば、「みそひと」は自分を指すはずだ。 
 今度は、アドレスをじっと見る。
 『riko-mami-ana@〜』という文字列を目にした瞬間、不覚にも勝呂は気を失いそうになった。
 ”ここは、どっかの飲み屋か?!”と突っ込みたくなるほどの、名前の羅列。リコ、マミ、……おそらく最後のはアンナではなかろうか。n、nと続けるのは余り格好良いものでは無いし、アドレスを他人に教える際に間違われることがある。その為にnをひとつ省略したのだろうと勝呂は考えた。
 いやいや、待てよ……。早計は事を見誤る。
 勝呂は一息つくと、もういちどアドレスを見つめた。字体からしてなかなか高齢の御仁であるようだし、このアドレスは、娘達の名前ではないだろうか。彼には三人の娘がいて、上から先程の名前を持っているのでは無いだろうか。
 「三人娘」とはまた、どこかの推理小説のようだな……。
 頭にくしゃくしゃの帽子と下駄をつっかけた稀代の名探偵を浮かべた瞬間、勝呂は閃くものがあった。件の「三人娘」が出てくる小説は、確か誰かの句が元になっていた筈だ。確かあれは、芭蕉の……。
 コンコン、と音がして、ノブが回された。
 入室の許しも与えていないのに、部屋に入ってくる人物など知れている。
「あら、誉史樹さん、珍しくお仕事ですか?」
 嫌味をさらりと言いながら、勝呂の手元を見つめるのは、母光代。相変わらず美しい姿勢に着物が似合っている。
 


 

 

[09年 09月 04日]

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