(6)

「あ……起きてたんですか」
 後ろの扉が開き、弟の省吾がうっそりと顔を出した。
 一体彼は、いつ寝ていつ起きているのだろうか。彼の部屋は、いつもひっそりとしている。
 トイレに行く以外は、ほとんどリビングにも顔を出さない。食事も、自分の部屋で取る。風呂も二日に一ぺん程度。しかしシャワーだけなのだろうか。時間はすこぶる短い。
  栞はと言えば、ほとんどの時間を、この家のリビングで過ごしていた。優人に宣言されてしまった以上、彼の部屋に入る訳にもいかない。それにこの家には、物 凄い数のアニメDVDがあるのだ。時間を潰すには、なんら困らない。ゲームもある。リビングを出るのは、それこそトイレと入浴の他は、優人の部屋でセック スする時だけだ。
 服は、着てきた服と、優人のジャージを借りた。落ち着いたら服を買いに行こうと約束したけれど、結局休日は寝て終わってしまう優人に無理も言えない。化粧品だけは、近くのコンビニで適当な物を買い揃えた。
「兄貴、今日も朝まで帰らないと思います」
「うん。でも、暇なんだもの」
「テレビ、面白いですか?」
「……深夜のアニメ、結構好きなの」
 省吾は甲高い声を流し続けるテレビに視線を流すと、まじまじ、と栞の顔を見る。
「女の子って、こういうアニメ観ないのかと思いました」
「まっさか。大好きだよ。アニメはなんでも好き。バカバカしいのも、エロいのも」
 けらけら、と笑ってやると、ふいに省吾の目が痛々しいと言わんばかりに細められる。
 なんだかその目が自分を哀れんでいるような気がして、栞はふいに怒りを覚えた。自分は、ちっとも部屋から出てこないくせに。アンタに憐れみの目で見られるなんて、最低。栞は自分を棚に上げて、心の中で省吾を非難する。
「いけない?」
 つい、口調が攻撃的になった。省吾が僅かに身じろぐのが見えて、栞はますます好戦的になる。
「いえ。そんなことは。珍しいなと思っただけで」
「…… こんな女の子、自分は嫌だなあ、って思ってるでしょ。ネットで知り合っただけの人にほいほい付いてきて、平気な顔してその弟とも同居して。一日中テレビ観 てアニメ観て、ゲームして。そんでお兄さんが帰ってきたら、Hする。そーとー頭おかしいと思われてるでしょ、アタシ」
「いえ、あの」
「いーよいーよ。自分で解ってるもの。アタシ、おかしいんだよ」
 止められぬまま、自嘲の言葉が溢れ出す。
 目の前が霞んで、栞は初めて自分が泣いているのだと気付いた。
 シルエットしか見えなくなった省吾は、野田にひどく似ている。体型も、髪型も。どこかおどおどした雰囲気も。自分が結婚する筈だった人。決められていた道。自分で選んだのだと思っていた。でもそうじゃ無かった。決めていたのは、相手の母親。何もかも。
 自分はそのレールに無理やり乗せられていたのだ……。
 無言のまま立ち上がり、ミュールに足を入れた。
「別所さん……」
 玄関を閉める際に、小さな省吾の声が聞こえたが、引き返すつもりもない。携帯も、財布すら持たずに、栞は外へ飛び出した。「自分の意思で」外に出たのは、この部屋に来て始めてのことだった。
 


 

 

[09年 11月 16日]

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