(4)

「名前は、林 優人。歳は……ええと、自分より3つ年上なので27歳の筈です。さっきも言いましたが、ゲーセンで働いてます。以上です」
「それ、お兄さんの情報だけだよね?」
「……? はい」
 当然だろうと言わんばかりの彼に、栞は僅かに驚いてしまう。栞は”ペッパーさん”に付いてきたのだから、その事についての情報をくれるのはもちろんだろうが、こういう時は彼自身についてだって少しは紹介があるものではないだろうか。
 不思議そうに顔を上げた彼は、すぐに手元に目を落とすと、プリンの続きをすくい始める。それ以上言葉が出そうにないのを確信して、栞は仕方なく自分について語ることにした。
「アタシ、別所(べっしょ)栞。21歳の大学生。一応文学部」
「はあ」
 目の前でもくもくと食べ続ける男性は、さして興味なさそうに頷いた。彼との距離感は、どうにも掴みにくい。初対面ではあるけれど、一応暫くは同居するのだから、なるべくならば打ち解けておいたほうが良いのではないかと思う。しかし、取っ掛かりが解らない。
「あの……アナタは?」
 当然であろう質問にも、相手は暫し考える態度を取った。空になったプリンを眺め、じっとしている。やがてふう、と一息入れると、ぼそぼそと口を開いた。
「林 省吾です。今は無職です」
「弟さんなんでしょ?」
「はい」
 てんで、会話にならない。年下の栞にまで敬語を崩さない彼は、丁寧な人柄なのだろうか。いや、それとも人付き合いがあまり上手でないという事かもしれない。
 途方に暮れた栞は、食べ終えたプリンを机の上に置くと、改めて部屋の中を見回した。
「すごいよね。これ」
 指差したのは、伝説になるほど有名なアニメのプラモデルだった。
 その精巧さ、緻密さは他に例を見ないほどで、まさにファン垂涎のコレクションであると言って良い。そしてこれが、栞とペッパーを繋いだものでもあるのだった。
 省吾はちらりとそちらに目をやると、大して興味も無さそうに頷いた。鷹揚に頷くのが彼の癖なのだろうか。男性にしておくのは惜しいほど、白いうなじ。しかし、同じような野田のそれを見慣れている栞にとっては、なるべく目にしたくないものだった。
「アタシ、このシリーズ大好きなんだ。省吾さんは?」
「……っ、触らないで!」
 プラモデルに触れようとした所を、鋭い声が制した。それは愚鈍にも見える省吾から発せられたとは思えないほど、鋭く尖った声だった。
 咄嗟にびくりと手を引いた栞を目にして、とたんに省吾が亀のように首を竦める。これでは、どちらが怒鳴られたのか……。と呆れそうになる。
「それは……兄貴の、大切なコレクション、だから。触ると怒られるんだ」
「あ、そっか。ごめん。そうだよね」
「うん。兄貴は、怖いから。……気を付けて」
 それだけ付け加えるように言うと、省吾はのっそりと立ち上がった。そのまま栞の分まで空になったプリンを持ち上げると、キッチンまで歩いていく。
 栞はなんとも言えぬ気持ちのまま、彼の後ろ姿を眺めていた。どうして自分がこの場にいるのか。どうしてこんな所で、見知らぬ男性とプリンを食べたのかが解らなくなりそうだった。
「これ。とりあえずお菓子とか。パンとか。適当に食べてください」
 キッチンから大量の食物を持ってくると、テーブルの上に無造作に置く。ペットボトルのお茶と、コーラ。可愛らしい携帯用ストラップがついた、ジュースも見える。
「うわあ。一杯あるのね」
「公園の裏にコンビニがあるんですけど、ちょっと遠いんで。また、兄貴にでも案内して貰ってください」
 自分自身が案内する気は、全くないのだろう。省吾はそっけなく言い置いて、トイレに向かう。途中、テレビのリモコンをソファの下から拾い、机の端に置いて行った。
 それを引き寄せて、手の内で弄ぶ。
 僅かに汚れが付着したそれを見つめていると、ふいに寂しさが込み上げてきた。朝、アパートを出た際の浮かれた気持ちは、どこを探しても見つからなかった。
 トイレを済ました省吾が、リビングを出て行こうとする。決して好ましいと思える背中では無かったが、寂しさが先立つせいか、縋るように声を掛けた。
「ねえ、どうするの?」
 期せず口から飛び出した、問いかけ。
 しかし自分が発した言葉の意味が、栞自身判然としなかった。一体誰に向けた問いなのだろう。省吾に対して? いや自分に対してなのだろうか。
 自身の部屋に通じるドアに手を掛けた省吾も、質問の意味が掴めぬよう止まっている。三時を告げる時計の音が、静かな部屋に鳴り響く。ここは、異空間だ。社会から、現実から切り離された不思議な空間。栞はふと、そう感じた。
「なんですか?」
「省吾さん、これから何かするの?」
 小さな省吾の目が、僅かに開いた気がした。
 彼はぽりぽりと頭を掻くと、目を逸らす。そのままぺこん、と頭を下げた。
「……ネトゲっす」
 彼は、振り返りもせずに扉の向こうに消えて行った。
 その夜二人の男性は、どちらも再び栞の前に姿を現す事は無かった。
 


 

 

[09年 11月 10日]

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