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 学内のあちこちで、映画研究会の新作についての噂が聞かれている。そのほとんどは『ちょうちょ』に関するもので、上映された映画の中でも、評価は最上。しかも、それがほとんど亜佐美の演技に関するものだというのだから、相当な手ごたえだろう。
 次のコンペに出す作品はこれで決まったと、監督兼部長である越野が騒いでいた。
「いっそ、女優目指しちゃえ〜!」
 いよいよ酔いの回り始めた栞が、己のグラスをカシンと、亜佐美のグラスにぶつける。
「そうねえ。どうせだったら、ハリウッド目指してみる?」
「まずは、日本の芸能界でしょ。萌えアニメの実写とかに出てよ」
「私に、ネコ耳つけろっての? 意外に似合っちゃうかもよ〜!」
 騒ぎ立てる二人の横で、ユイがそっと奈々子に耳打ちする。
「ホントに、いいの? 奈々子」
「どうして?」
 奈々子も声を潜めてユイに返す。大体の予想は出来たが、敢えて気付かぬ振りで。
「だって……芸能人になったら、お父さんに会えるかもしれない、のに」
 果たしてそれが現実になったとして、感動の再会となるだろうか。
 今まで日陰の身を通して来た自分に、父は涙ながらの謝罪をしてくれるだろうか。
 そうは思ったが、奈々子はそっと首を振った。過去に囚われるのは、もう止めたのだ。だからこそ、ミス・キャンパスにも出場した。今までの自分を少しだけ変える、ため。
「ところでさ〜、奈々子」
 先ほどまで自分の手のひらを頭に乗せ、「萌え〜?」などとやっていた亜佐美が、にやにやを顔中に貼り付け、振り返る。
「奈々子がミス・キャンパスの優勝って決まった時にさ、私の隣に居た小久保先輩が真っ赤になってたんだけど。どーして?」
「え?」
「そーなの? ヒメ」
 栞とユイも何事か、という顔で奈々子を注視した。
 奈々子は済ました顔で、猪口に口を付ける。やはりこの甘い酒は、奈々子の好みだ。
「あのね、先輩に言ったの。『ミス・キャンパスになったら、私と付き合って下さい』って」
 沈黙。
 長い沈黙。
 そして聞こえたのは、悲鳴にも似た叫び声だった。
「え―? ええ――?!」
「ほんと? 奈々子、なんで? あれ、奈々子って小久保先輩が好きだったっけ?」
「ちょっとヒメ、いつの間にそういう話に……」
 慌てふためく友人達をゆったりと見遣りながら、奈々子は楽しげに口を開いた。
「だって小久保先輩、面白いんだもの」
「……面白い?」
 亜佐美の呟きに、後のふたりも黙り込む。
 三人は、知ってはいけない事実を知ったように、顔を見合わせた。
「小久保先輩って、ウサギとかリスっぽいのね。真っ赤になって慌てる顔とか、本当に可愛いのよ。いじめたくなちゃう」
 にっこりとほほ笑む奈々子は、本当に美しかった。
 以前ユイが奈々子を「菩薩」と評したことがあったけれど、まさしくその通りかもしれない。……外見だけならば。
「奈々子って」
「ドS(エス)だったんだ」
 亜佐美の呟きに、栞が重なる。ユイの顔も幾分ひきつっている所を見ると、同様の意見なのだろう。
「ドエスって?」
 当の本人は呑気なものだ。
 小首を傾げるその可愛さと言ったら、ない。

「すっごく苛めっ子って、ことだよ! あーもう、呑め呑め!」

 亜佐美が酒瓶を掴んで、奈々子の猪口に流し入れる。
 おつまみを口に放り込んだ栞の目は、笑っている。
 ユイは疲れたような溜息を吐きながら、それでも力強くひとつ頷いた。

 部屋の中は、女の子達の笑い声で一杯になる。
 「女」になる、一瞬前。心の柔らかい部分は、ひどく傷つきやすいけれど。
 隣には友達がいるから。


 彼女達は前を向いて、今日も笑っている。


<彼女の選択・了>
 


 

 

[09年 12月 05日]

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