(10)

 許せない、と。
 真実自分は思っているのだろうか。許せないのは、父ではないような気がする。もちろん父のしたことは許せないが、自分が一番憤っているのは、それに従うしかなかった、母。そしてそのようなことがまかり通る「男と女」という関係そのものであるような気がした。
 しかし小久保にそれを逐一説明するのも面倒で、つい奈々子は黙り込む。
 それを肯定と取ったのか、小久保は気遣う風に続ける。
「でもさ、きっといつか……長谷部さんが”この人なら”って思うような相手が見つかるよ。だからさ、全部に目を閉じなくても良いと思うんだ」
 ……正直、少し呆れてしまった。
 何故彼は、そんなに気弱いことをいうのだろう。こういう時小説やドラマならば、「僕が全て忘れさせてみせるから」とでも言うのではなかろうか。小久保は見目だって良いし、性格だって悪くない。もっと自分に自信を持ってさえいれば――自分だって、振り向かせられるはずなのに。
「小久保先輩」
「はいっ?」
 何故、小久保のほうが畏まるのだろう。裏返ったような声がおかしくて、つい笑ってしまった。
 それに安心したように、緊張を解く彼の気配が返って来る。無言で返答を促す彼に、負けた。階下を見下ろせば、踊り場に腰掛けた小久保は、やけに真面目な顔をしている。
「ありがとうございます」
「……お礼を言われるほどのことじゃないよ」
「許せるかどうか、解りませんが」
 全てを。父も母も。そして何もかも諦めてしまったような自分も。
「うん」
「それじゃあいけないってことは、私にも」
「ん」
 見上げてきた小久保は、満面の笑みを浮かべていた。
 笑うと、目じりが下がるらしい。そんなことに、初めて気付いた自分がおかしい。でもこうして誰かのことを少しずつ知っていくというのは、満更悪い気分ではなかった。



「カンパーイ!」
「ミス・キャンパス、おめでとうヒメ!」
「亜佐美ちゃんも、映画の公開おめでとう」
「やっぱり奈々子。私の期待に応えてくれたね!」
 それぞれに種類の違うグラスを持ちながら、乾杯の発声をする。
 学祭が終わった最初の週末、やはり4人はユイの部屋に集まっていた。学祭の期間中は、それぞれに属する同好会やら何やらに駆り出されていて、こうして集まることはかなわなかったのだ。こうしてゆっくり会えるのは、久しぶりになる。
「ぜーったい、奈々子が獲ると思ってたよ」
「そりゃあ、そうでしょ。票はダントツだったもんね」
「私も、晴れ晴れしちゃった。あーすっとした」
 酒が入っているせいか、亜佐美の口も滑らかだ。彼女としては、樹里に一矢報いた、そのことがよほど嬉しいのだろう。
「もう、亜佐美ちゃんたら……」とたしなめながら、奈々子は苦笑する。奈々子にしてみれば、ミスコンのようなものに出場した自分も驚きならば、学内一の栄誉に輝いてしまったことも、戸惑いを隠せないのに。
「しかも、なんかマスコミ関係から、インタビューの依頼が来てるんだって?」
 情報が早いのは、いつも栞だ。
 学祭の実行委員に近しい人間がいる栞は、今回も随分裏方の手伝いに回っていたようだ。そのため、こうして様々な情報が入ってくる。
「う、ん。そうみたい」
「うわ、凄い。どうするの?」
 喰いついたのは、自身も芸能関係に進もうとする亜佐美だ。興味津々、と言った顔で見つめる彼女に、奈々子は困ったように笑って見せた。
「……お断り、するつもり」
「えー。ヒメ、ホントに?」
 不満の声を上げたのは、ユイだ。しかし彼女は、ちょっと違う点でも引っかかるものを感じているらしい。しかし多くは口にせず、手元のコーラを口に含んだ。
「亜佐美ちゃんだって、凄く評判いいんでしょ? 映画」
 


 

 

[09年 12月 05日]

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