(4)

 夏休みの学食は、閑散というほどではないにしろ、日頃の喧騒からは程遠かった。
 栞の姿を探して中を見渡せば、中庭側の奥まった席に、ジーンズとTシャツというラフな出で立ちの彼女が居た。さすがに今日は、漫画を持ってはいない。自分の携帯を握り締めて、それでも開くそぶりも見せずじっとしている。
 少しやせたな、というのが最初の印象だった。
 もともと子供のように細く固い肢体をもつ栞だ。まんざら男を知らぬ体でもないというのに、彼女からは一向に成熟しようとする女の色気が感じられない。恐らく彼女の精神と一致しているのだろうと、嫌味からでなく思っていたが、今はそれに固い殻のようなものまで感じる。
 これは重症かも、とひとつ溜息をついて、歩み寄った。
「久しぶり、栞」
「あ、亜佐美」
 微笑みもどことなくぎこちない。しかしそれを気付かぬ振りで、亜佐美は前の椅子に腰掛けた。
「もう食券買った?」
「ううん。まだ……」
 歯切れの悪い口調に直感する。
「あんまり、食べてないんでしょ?」
 栞は叱られた子供のように身を固くすると、えへへ、と曖昧に笑ってみせる。亜佐美は自分のバックからバーバリーの財布だけを取り出すと、栞を促した。
「ほら、行くよ。食事だけはきちんとしなさいって。栄養取らないと、体にもお肌にも悪いわよ」
 なんとも言えぬ顔で亜佐美を見つめていた小さな顔が、こくんと頷くと素直に立ち上がる。これから撮影がある自分は、あまりこってりしたものという訳にもいかないだろう。極めて日本的な定食を頼む。
 体質もあるのだろうが、亜佐美は脂の多い食品を食べると、途端に化粧のノリが悪くなる。
 ”女優”である事に不相応なプライドを持っている訳ではないが、カメラの前に立つ以上、常にベストな自分でありたい。それは亜佐美のポリシーである。
 ご飯半量の定食を机に持ち帰ると、亜佐美は常に持ち歩いている箸(はし)箱を取り出す。
「あ、可愛い。それ」
 話のきっかけを探して和風パスタをかき回していた栞が、青の下地に蝶が大胆に飛ぶ図柄を褒める。亜佐美は「これ?」と言って取り上げると、中を開いて見せた。
「この間見つけたんだけどね、気に入ってるの。素敵でしょ?」
 実はこれと揃いの弁当箱を、先日菅の誕生日に贈ったばかりだ。
 彼が自分で料理などする筈がないと解っていたが、これには訳がある。今現在亜佐美達が撮っている映画、このタイトルが『ちょうちょ』というのだ。
   
  ちょうちょ ちょうちょ
  菜の 葉に とまれ
  菜の 葉に あ(飽)いたら
  さくらに とまれ
   
 日本人なら誰でも知っている童謡。
 彼はこの歌に出てくる「ちょうちょ」のように、ふたりの女の間を行ったり来たりする男の姿を描いたのだった。罪悪感もなく、ふたりの女を同時に愛する主人公。それは、菅自身を投影しているのかもしれない。
「うん。とっても、亜佐美に似合ってる」
「ありがとう。私はね、栞」
 そこで言葉を切ると、一旦箸を置く。
 説教が始まる気配を敏感に感じたのだろう栞が、僅かに身を固くして俯いた。
「後悔したくないの。だからこそ、自分で納得行くまで選ぶのよ。自分のしたいこと。やりたいこと。欲しいもの、全部。その時の感情に流されたって、良いことなんかなんにもないんだもの」
「……うん」
 亜佐美が何を言わんとしているか、おおよそ栞には見当がついているのだろう。口も挟まずに、下を向いて聞いている。縮こまるばかりの栞の姿に、これ以上苛めるのも可哀想かと思い直し、亜佐美は幾分表情を和らげた。

 


 

 

[09年 11月 26日]

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